4月10日〜11日

目的地 白骨温泉


奥さんからのリクエストで白い温泉に(長野)

今回は ナビの使い方をマスターする為に いろいろ設定して見た

朝8時に家を出て R122からR125R17とスノボーで通いなれた道
蓮田市を過ぎた所でナビと喧嘩が始まる 設定したはずなのに R125に入らない
ナビを無視して R125を走り R17に入り 道の駅おかべで 休憩





休憩後 R254に乗り換えて佐久方面に行く予定だったが 時間が無くなって来たので
本庄児玉から高速に乗り小諸インターで下り「道の駅ホットパーク浅科」を目指す
ナビの言う通りに走っていると 畑の中を走らされた・・いつもなら国道をナビするのに
でも空いていたので 言う通りに走っていると 道の駅が 目の前に現れた
道の駅でトイレ休憩し先へ進む






R254⇒R152を進み丸子町に入り つちや食堂で昼食






此処は HN「おとーちゃん」が経営する食堂で 以前スノボーの帰りに
味噌カツを食べたら美味しかったので 奥さんにも と言う事で 連れてきた
丁度昼時で 店内は混雑 厨房では おとーちゃんがてんてこ舞いなので
声をかけないでおく 
奥さんが「味噌カツ定食」私が「生姜焼き定食」を食す・・どちらも美味い!





店を出る時に手の空いた「おとーちゃん」に挨拶して 先を急ぐ
平井寺トンネルをくぐって R254に戻り松本へ向かう
松本トンネルを出るとナビはR19へと指示するが此処は梓川沿いの方が早いはず





案の定 あっと言う間に「野麦街道」(R158)へ出た
後はこのR158をまっすぐなので 春の景色を楽しみながら 走る
この道は 夏と秋に走っただけなので 春の景色は格別である
お寺らしき所に「枝垂れ桜」発見! 見るか?と聞いたら 寝ていた・・(-。-) ボソッ
明日見に来る事にして 先へ進み「道の駅 風穴の里」で休憩





梓湖の奈川度ダムを見て 東京電力のデンコちゃんと 記念写真






県道84を経て冬季無料の上高地乗鞍林道に
バイク乗りには有名な林道だが 四輪でも結構路面が荒れてて走りにくい
頂上のトンネルを抜けると いくらか路面は綺麗になった
周りは凄い雪景色・・奥さん大感激!  

この峠道を下ったら 目的の「白骨温泉街」
案内の看板を見て目指す斎藤旅館を見つけ チェックイン





部屋に通され 一息ついた所で 貸しきり風呂に浸かって マッタリする
大きなガラス窓越しに雪の残る庭が見え 良い感じ
45分で2000円はちょっとお高いが お風呂も脱衣所も綺麗で
夫婦でのんびりできる時間だと思えば 納得できる

風呂から出て部屋に戻り 一服すると お待ちかねの 食事の時間
遠い食堂まで行かなければならないが 旅館内を散歩するのも良いかな (^^;
料理の写真を と思ったら カメラのシャッターが下りない
カメラが壊れた〜 こんな肝心な時に なんてこったい(-。-) ボソッ
と言うわけで この先 写真は有りません

料理は山菜主体のしゃれた料理で とても美味しかった


食事が終わり 部屋に戻り一息ついてから 再び温泉に今度は露天風呂に入り
またまた まったり〜 (ヘ_ヘ)>゙
そのあと部屋に戻らず 大浴場に向かい内湯と露天風呂に入る
部屋に帰ると 奥さんはすでに寝ていたので 白骨温泉について資料を探す
12時を過ぎると 男湯と女湯が入れ替わるので またまた風呂に浸かりに行く
部屋に戻ると2時を過ぎていたので 床に入り 就寝

3時頃 奥さんに起こされ 「温泉に入りたいから」道案内して欲しい・・
仕方ないので 付き合いがてら 私も温泉に浸かるが 眠くて 危ない
大浴場の前にあるロビーの椅子に座って 仮眠・・・
奥さんに起こされ 部屋に帰って 本格的に寝る



白骨の歴史
白骨の謂れ
この地名は、地元に伝わる古文書によると「白船」「白舟」とあります。
それは栃の大木を六尺に伐って丸木舟様に彫った「フネ」と称するものを湯槽に
用いたところ、その内側に温泉の石灰分が白く結晶したことからそれを「シラフネ」
と呼んだのが由来だと言われています。
明治になり吉田東吾の「大日本地名辞書」が発行されると、そこには
「白骨の温泉、シラフネとも言う」とあります
著者が地元の人間のなまりを聞き間違えたためかは定かでは有りませんが、
おそらくこれが「白骨」の呼称の始まりであったのでしょう。

その後「白骨」の名を一般に知らしめたのが 大正2年9月より新聞紙上に連載の
始まった、中里介山の小説「大菩薩峠」でした。
以来地元でも「シラフネ」と呼ぶものが少なくなり、
いつしか「白骨」の名が定着し今日に至りました。






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